2007年5月29日火曜日

日本と中国は同文同種、一衣帯水でない

日本と中国は同文同種でもなく、文化的に一衣帯水でもありません。

1 日本は外来文化に積極的な社会であり、中国は閉鎖的です。

国境は動き、民族は入れ代わるのが世界史の常識です。

しかし日本は四面を海に囲まれており、近代まで 外敵から侵略される恐れがありませんでした。
5世紀に日本国家ができて以来、同じ場所に日本国家、日本人、日本文化はあります。
これは中国との大きな違いです。

日本人にとって、 外国は怖いものではなく 、いろいろな珍しい高い文化を提供してくれるありがたいものでした。
ここから「外来文化に積極的である」という日本文化の特質が生まれました。

中国は、紀元後2000年のうち800年間も、異民族によって支配されました。
異民族は自らの生存をおびやかす忌むべき存在です。
また、インドと同じく自ら文明を築き上げたので、外来文化に魅力を感じません。

日本人は、外来文化の流入を歓迎しますが、人は歓迎しません。

中国は50以上の民族がいることでわかるように雑多な民族からなり、人の流入には寛容です。しかし外来文化には警戒的です。


2 日本は情緒的な人間関係社会であり、中国はそうではありません。

人間は一人で生きるものではありません。
特に、狭いところに 沢山の人がすむ日本のような稲作社会では、お互いに助け合い、 頼りあって生きているのであって、 他者への配慮 がことのほか重要です。
個人は全体に隷属することを求められます。

また日本では、他民族との抗争がなかったので、行動基準に思想、理論よりも、情緒的な人間関係を行動基準にする傾向が強いです。
和が第一の日本に、大思想、大哲学、大宗教が生まれなかったのはそれを必要としなかったからです。

中国では、人間関係にしても、異族との対決が頻繁なため、不断に自己を論理で鍛えあげていく必要があります。
したがって大胆な論理社会になります。
中国社会は、 日本との共有点は少なく、インド、アラブ社会にはるかに近いです。


3 日本は細部に目がとどく社会ですが、中国はそうではありません。

日本の自然は、日本人が相手にできないほど凶暴でなく、努力し、 団結してあたれば、自然を自分たちの味方にできます 。
また、国防や民族、宗教問題がほぼなく、まとまりがよいので、こまいかいところまで目配りができ、そのために細部に目がとどく勤勉な社会ができあがりました。


このように、<外来文化に積極的>、<情緒的な人間関係>、<細部に目がとどく>ことが日本文化の特徴です。

顔かたちは似ていても、日本人と中国人はちがいます。
あまり同文同種意識をもちすぎると、なんらの予習なしでも、緊張感なしでも中国はわかるんだという短絡した態度になりがちです。
中国は近くにあるが、あくまでも遠い外国です。
中国はアメリカより理解するのがむずかしい外国です。

中国とは、「腹で話す」のではなく、論理でもって話すことが必要です。